活動家として社会運動に携わっていると、「社会問題を意識し始めたきっかけ」について問われる機会が多い。
私はこれまで、この問いに対して色んな答えかたをしてきた。多様な要因が影響していて、ひとつのきっかけに絞れない人も少なくないと思う。私の場合は、話す相手に対してどこまで自分をさらけ出せるかを推し量りながら、伝える答えを選んできた。
ここでは、建前を選ぶ代わりに、「きっとこれが本当の最初のきっかけなんだろうな」と推測している本音としての、小学1年生の秋の出来事について述べたい。
ある日、家族全員で夕食を食べているとき、私は突然、食べ物や飲み物の飲み込み方がわからなくなった。人によっては訳の分からない表現と思われるだろうが、申し訳ないが文字どおりの事態が起こったのである。「あれ、飲み込むってどうやるんだっけ」と、私は家族の前でなかばパニックに陥った。その瞬間に口の中にあったものなんとか嚥下してみたが、残りのご飯は食べられないと、本気で思った。
「なぜかわからないけど、突然飲み込めなくなった。残りは食べられない」と親に伝えたら、優しく心配してもらえると思っていたが、甘かった。根っこには心配もあったのだろうが、両親共に、ものすごい勢いで怒声を浴びせてきた。主旨は「食べ物を粗末にするな」といったところである。本当に飲み込むことができなくなったのに、無理矢理口に食べ物を入れさせられ、向こうまでパニックになりかけながら「飲み込め!」と連呼される。私は半泣きになりながら、飲み込みたいけどうまく飲み込めない、と伝え続けるしかなかった。
すると、父親がどこからかチラシのようなものを引っ張り出してきた。そこには、栄養失調や飢餓に苦しんでいるアフリカの子供たちの写真が載っていた。父親は「これを見ろ」と言い、「食べたくても食べられない子どもたちが多くいる。お前は食べるものに恵まれているのに、何を言っているんだ」と説教された。私は、そんな事柄を引き合いに出されて追及されても、飲み込めないものは飲み込めないのに、と、本当に参ってしまった。
これがまさしく、私が「社会問題を意識し始めた最初のきっかけ」だと思っている。
飲み込めなかったのはこの日だけではなく、数ヶ月続いたと記憶している。学校の給食では、配膳された量を食べ始める前に可能な限り鍋に戻し、なけなしの量を時間をかけて飲み込んでいた。その様子を担任の先生が親に伝えもしたので、厄介だった。習い事の先生にも、「激痩せした」と指摘されて面倒だった。親は、私の身に起こったことを「拒食症」と表現していた。
なぜ私は突然、ものを飲み込めなくなったのか。今では、外国にルーツを持つことに対する学校でのいじめなどのストレスによるものだったと、私は捉えている。当時、医者に連れて行ってもらうことはなかったのだが、今調べてみると、「転換性障害」や「咽喉頭異常感症」という名前の症状に似ている。これが起きるのは「ストレスや疲労で自律神経失調が起こり、のどの筋肉が過剰に緊張することによる」そうだ。(出典はこちら)
最初に述べたテーマから、色んな話題に派生してしまったが、まさにこれまで述べた多様な要因や背景の文脈上で、「不自由なく生活している人々がいる一方で、生きるのに必要な最低限のものが満たされないでいる人々もいる」という事実を投げかけられたことによって、この社会の矛盾についての問いかけは、当時の私の中で単なる情報として処理されず、いわば「体に染み付いた」のだろう。それゆえに、社会問題を意識し始めざるを得ない出来事になったと、ここ数年は考えている。
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