2025/4/6
たまたまK-BALLETの『ジゼル』の公演のレビューを読んだあと、お茶を淹れていたら、2幕の悲しい曲調が自ずと頭に流れてきて、心をつかまれた。「化石」なんて呼び方では済まない、「生傷」の痛みが浮かび上がってくる。痛い……
2幕でジゼルがアルブレヒトと踊る振りを真似て、狭いキッチンで下手なりに体を動かした。すると浮かび上がってきたのは、「死が2人を分ちましたが、2人は生者と死者の境を超越して愛し合います」などという解釈などでは全くなかった。
ジゼルを踊る私は、思い切り顔を歪め、震え、歯を食いしばりながら、怒りと悲しみの溢れる視線をアルブレヒトに向ける。
許しなんて、まだ、とんでもない。1幕最後の数分ですっきり終わるような怒り、悲しみではない。ナイーブに互いをありがたく触り合い踊っている場合ではない。
1幕最後、ジゼルは自分を見失っていて、アルブレヒトと対峙する暇がなかった。2幕になってやっと、何者と向かい合っているのか自分にちゃんと言い聞かせたうえで、アルブレヒトと対面するんだ。
その対面はわかりやすく感動的なものではなく、一世一代の張り詰めた対面なんだよ。「私からはあなたに会いに行けない。あなたは待てども待てども来ない。今生の別れのつもりでいた。なのに突然現れたのね。どういう神経で、どういう言い分で顔を見せにきたのか、聞いてあげようじゃない」という。どういうつもりで私の心をいとも簡単に踏みつけられたのか、その答えを聞くすべがない、問い詰めてやりたいけど死んでいるからできない、その地獄の時間を、ジゼルは毎日毎日1秒も逃さず体に刻みつけてきた。
「なんで?どうしてこんなことになったんだろう?」その終わりのないジゼルの問いと、アルブレヒトの、不誠実で不毛で中身も救いもない保身たっぷりの「ごめん」が、交わりそうで交わらない、絶望的なやりとり。それが、私に見えた2人の踊り。
2025/4/7
トラウマに塗られて育った子どもが あの「化石」に出会ったとき
いわゆる「恋愛」における「一目惚れ」をしたのとは違うな
私をここから救い出してくれるって
根拠もなしに一瞬で信じ込んでしまった
何か裏がありそうなのは薄々わかっていたけれど
幻滅したくなくて、本当のことを聞いてはみなかった
私を気にかけてくれたその姿は、本物のはずだった
それが、この人を強力に信じ込むよすがだった
多少の勘違いはあるかもと踏んでた
まさかそれが、決定的なもので
遊ばれていただけだったなんて
頭をかすりもしなかった
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