傷心のモノローグ、そしてマニフェスト 2025年3月 手記②

2025/3/27

インナーチャイルドのリラ……

私たちは ふたりきりで抱き合っているしかないみたい

安心だけでできたアタッチメントを結んだ人は いないから


2025/3/25

ハーマンの本を読んでいたらユダヤ人大虐殺の生還者の方の言葉があり

次の段落に行こうとしたら、『映像の世紀』の「パリは燃えているか」が流れて、心を重くつかんだ


2025/3/20

痛すぎてもう生きられない

それすらも言ってはいけないの……?

重荷はこれ以上背負えないって

どうやったって結局そうなのに

背負えるふりして上の人間に媚びへつらって

背負えないもの渡されて


2025/3/19

使い捨てにされる人々がいる

戦争に駆り出される

肉体や心に外傷を与えられる

イデオロギーのために命を投げ打ってもいいと言う人たちに巻き込まれ、強要される

もし 命を落とさないにしても

半殺しにされたたまま 生きていくのが危ないまま 生きていくしかない

なぜ その傷を与えられたあとも 鮮明すぎるほど無事ではいられない理不尽を 

言葉にすらしてはいけないような現象が 実際に起こっているのを

手をこまぬいて見ている? それがまかりとおる?

ましてや ものの見方がどこまで狭められたら がんばりが足りない、などとのたまえる……?

そして 自分達は使い捨てにされはしない部類の人間だ、と驕る人々もいる

その裏返しとして 捨て駒にされてしまう人間、そうされて仕方ない人々もいるよね、と……

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