カウンセリング後の手記 2025年4月①

2025/4/1

心理士の先生と主治医の先生に、「アタッチメントの化石」(こちらに簡単な記載あり)の問題を、今日初めて話した。それから、情けない自分だと、強烈な嫌悪感を感じる……何度も自分の頬を平手打ちするイメージが浮かぶ。

診察後お手洗いの個室に行って、うなだれた。恥ずかしい。肩がすくむ。話したことによって、汚された感じがする。「私は恥ずかしい存在だ」いつもそうだけど、このときも自傷したかった。

「墓まで持っていくつもりの話だった」と言ったら、主治医の先生、「墓まで持っていかなくていいよ」って、さらっと言ってくれた。話していいことなんだ。

ジゼルだって、身が焦がれて亡くなりまでする心の葛藤が、大仰なバレエ作品にまでなっている これを抱えているのは恥ずかしすぎることや、さもしいことじゃない、と思いたい…..

なぜそんなに恥ずかしいんだろう、この問題を抱えているのが? 自己嫌悪でいっぱいなんだ……

これまで、誰にも話せない話だと決め込んでいたなか、10年というむちゃくちゃ長い道のり、行ったり来たり賽の河原のようで疲れ果てた思考の過程、それを進んできたことは事実。自分におつかれさま、と言ってあげたい。ゆずの『栄光の架橋』流したい級だよ。苦しいけど、根気強く、捨て置かずに向き合ってきたね。


2025/4/2

心理士さんと主治医の先生に打ち明けたことで、引き続き恥辱感と自己嫌悪をすごく感じてる。アタッチメントの問題がずっと続いている事態を受け入れられていない、受け入れたくないのと、「異常」なことだという感覚がまだ拭えないせいで。打ち明けてから、私は汚れた存在だ、という感じがつきまとう。比べていいものではないが、レイプされたことを誰かに告げたみたいな気持ちがする。

私ひとりいなければ、先生方や誰の手も煩わせず全部済むし、私も私が生きているせいで生じる先の見えない厄介な道のりを行かなくて済むのに、と思ってしまう。

私はモノじゃない。心を持った人間だ。隠しておきたい秘密を打ち明けることに、当然抵抗や恥を覚える。

あんなこと話したら、「情けないおかしな奴」だと思われても仕方ない。でも、トラウマの背景をちゃんと理解した上で聞いてくれる唯一の存在である心理士さんと主治医の先生に打ち明けられたんだ。ああ……「化石」本人も「私の話を十分な知識と理解をもって聞けるはずの職業」なのが、ひどい皮肉。悔しい。

「これまで、信じてきたものが裏切られる積み重ねだった」心理士の先生の言葉。幼少期から。言われてみれば、それまで体調がずっと芳しくなくて、でもギリギリ低空飛行で飛んでたけど、ついに決壊したのが、社会運動の仲間の正体や隠された意図、つまり裏切られたとわかった瞬間だった。「化石」(「喪失」した知人の呼び名)も、私からの一方的なものであっても、信じようと思えるものだった。


2025/4/3

「思い込んできた私はなんて愚かなんだ」と、これまでずっと、自分を責めていた。トラウマに由来する反応だと捉えられることで、少しはそれが和らぐ気がする。

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