インナーチャイルドのリラは喪服を着ていない……
森の奥深く、海の奥底で、真っ白のウィリの姿で、永遠の喪に服している……
自分自身を失ったのだから……
ジゼル1幕の終盤が
現実を受け入れられず怒り狂うインナーチャイルドのリラだとしたら
2幕のジゼルは
そこに浸るほかなく
全ての悲しみを嫌でも受け入れている姿だ
1幕のアルブレヒトは アタッチメントを砕いてきた他者
でも私たちには
悲しみに溺れてお墓に懺悔しにくるアルブレヒトはいないよ
2幕のアルブレヒトは「偽りの自己」としての私……
1幕のアルブレヒトが 表面上は加虐者であるとすれば
自己を痛めつけた最深の主体である「偽りの自己」
それがアルブレヒトの核心の姿
いろんな怪物を寄せ集めた姿形をしているアルブレヒトから
「偽りの自己」だけが抜け出していって
ジゼルのもとに向かう
残りは全部抜け殻になる
もう血が通っていないから
二度と関係の修復を望めないはずの加虐者との
悲痛な和解を描く
そんな不毛な2幕ではなく
傷つけたことを懺悔する
共に悲しみの奥底に浸る
同じ舟に乗ったふたり
和解しなければ生きていけないふたり
その底なしの過程としての2幕
最愛の人……
抑うつしか手に負えないはずなのに
わずかな楽しみ 喜び
それを良いものとして背負おうとする
耐えられないからその荷は下ろせと言っている心は 無視される
服喪追悼、グリーフワークが負担なのではなく
喪以外の入り込んでくるものすべてが重荷だったんだ
私の心の奥底は もう服喪に腰を下ろしているんだ
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