傷心のモノローグ、そしてマニフェスト 手記 2025/4/5, 4/8

25/4/5

悲しい人々がいる

悲しんでいる人々が

私がずっと探していた 息のできる出口 開(ひら)けたところ

それがこの悲しみの淵だったんだ

誰も教えてくれなかった

こんなにも苦しいのに ここは これまでで一番 息がしやすい場所なんだ

悲しみの海を私は泳いでいる

時折 水面から頭を出し 清々しい面持ちで 空を見上げることだってできる

そして 息苦しいはずなのにどこよりも息のできる この海に

いつでも潜ることができる


胃が痛くて手にした薬は

社会運動の人間たちと1ヶ月弱共に生活するために調達したものだった

すると

“난 죽은 사람이에요” (私は死んだ人です)と浮かぶ

死んで逃げてきた人ですと

生きては帰ってこれなかったと


25/4/8

プルースト 『失われた時を求めて』

ヘミングウェイ 『日はまた昇る』

その次に

頭の中で何がどう繋がったのか全く思い出せないが

「私の人生がこんなに悲しい物語だとは知らなかった」と 心の奥から聞こえた

その瞬間 胸の真ん中が握りつぶされるようにして 息が苦しくなった

これは言葉ではなかった

イメージ、体験、到達と呼べるもの

霧がサーッと晴れてゆき、視界が一気に開けていったようでもあった

思っていたよりもずっと昔から

救いようもなく 疑いようもなく 悲しい運命を辿っていたんだ

それが自分の人生だと信じられない 信じたくないほどに

私は被害者面をしたがっているだけなのだろうか?

悲観しすぎているのだろうか?

そうだとしても 少なくともこれは

他の誰も教えてくれなかった 私の人生の一面だ

私の人生が悲劇だとすれば

「化石」の事件が起きるずっと前から悲劇だったんだ

「化石」のことが特別悲劇的なわけじゃない

それなら、痛みが突出してしまっている化石の事象を

少なくとも トラウマ的記憶の羅列の中に 並べられるかもしれない

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