2025/1/10
「生傷」のことは、悲しいとしても、「偽の自己」が生み出した偽の感情による悲しみなのかもしれない?
「真の自己」が頷き、再体験を望んでいる感情なのかどうかわからない……
25/1/20
「生傷」の問題は単独で存在してるんじゃない。トラウマが重なってこれまで生きてきたことの副産物としての問題。「生傷」の事件が起きたずっと前から形成されてきた自分がいなければ、他の全ての現象と条件が揃っていても、トラウマの副産物としては残らなかったもの……!
頭の中では整理がついたり、時間の経過によって意識が和らいだりしているように思える日があっても、実際そんなことは全くなくて、痛みを再体験して喪失を悼まないかぎり、夢に出るたびに猛烈な苦痛に襲われる。単独の問題としてケリがつくことはなく、種々のトラウマを抱えたままの私でいる限りずっとつきまとう……その覚悟を。この問題にも苦しみ続けることを、受け入れる。
どちらかといえば、この問題で如実に表れている心理が、グリーフワークで悲しみの底を降りていく重要なカギになると思う。共依存的性質とともに、愛されうる存在として私を規定してくれる人が現れてくれることへの病的な切望、そしてその裏に隠れた心理。
2025/1/25
一生かけて悲しむのよ。それでいい。1日で全部片付けようとしたら溺れてしまう。1日分切り分けて、悲しめばいいよ。
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