〈グリーフ・ワークとは〉
「トラウマや喪失体験の記憶に直面し、そのときにガマンしたり、封じたり、抑圧したりしてしまった悲嘆を再体験する作業」を「嘆きの仕事」という意味で「グリーフ・ワーク」と呼ぶ
前頁までで話題に上がっていた、ある患者の場合、これまで参加してきたAC(アダルト・チルドレン)ミーティングのなかではグリーフ・ワークはうまくいかず、「セラピストの助けを借りてようやく成功しました。そして、この作業をあえてやり遂げることによって、彼の人間関係は大幅に変化し、再構築されることになった」
「しかし、彼がこの作業に取り組めたのは、ACミーティングのなかで漠然と感じた『安全感』の記憶があったからでしょう。安全感とは、『ここが私の居場所だ』という感覚です。人はこうした安全感のなかでしか、トラウマの回想などという危険な作業に入れないものです」
「アダルト・チルドレンの成長は、
①AC自覚の獲得とそれに引き続く安全な場の確保
②嘆きの仕事(グリーフ・ワーク)
③人間関係の再構築
という三段階を経ている」
(斎藤 1996, p. 158)
「『安全な場』を確保できたところで、ようやく癒しの中核の作業、トラウマを回想し、嘆く」、つまりグリーフ・ワークという「『回復の第二段階』に入る準備」が整う
「事実の回想そのものに直面できないという場合もみられます。そうしたとき、その人は自分の記憶の底から湧き上がるものを回想と呼ばずにイメージと言います。イメージの断片を記憶として統合していくのも、治療者のこの時期の仕事です」
(斎藤 1996, p. 182)
「トラウマは必ず喪失をともないます。この喪失体験の連続が、サバイバーの訴える痛切な寂しさの原因です。しかし、『喪失を嘆くこと』は困難な作業であり、加害者への復讐の思いに駆られたり、加害者とみなす人への賠償金取り立てを試みたり、逆に何もかも許すことによって心の負担から逃れようとしたり、といった横道にそれやすい仕事でもあります」
(斎藤 1996, p. 192)
親しい人の死は、「儀式的なモーニング・ワーク(葬式:これもグリーフ・ワークの一種)」を経ながら、徐々にその記憶が整理されていく。一方で、「アダルト・チルドレンの場合、葬式がきちんと済まされないままである場合が実に多い」
(斎藤 1996, p. 204)
「親に対する怒りとか嘆き、貰えなかったものに対する嘆きを自覚するという道は通らなければなりません」
(斎藤 1996, p. 232)
「グリーフ・ワークの基本は『自分について語る』ことです。自分というものについての物語を編むことです。それが悲惨なものであれ、平板なものであれ、あなたの語る『私・物語』があなたです」
「基本的には個別セッションやグループのなかで話し、物語を聞き手と分かち合うことが一番エネルギーも少ないし効果が大きいと私は考えています」
(斎藤 1996, p. 213)
〈喪失とは〉
・「人間関係の喪失」:「親しい人との別離、離婚、拒否、捨てられること、あるいは挑発されること」など。「これらはみな喪失です。そしてこれはすべてトラウマになります」
・「自分自身」の喪失
・「子ども時代の喪失」:子ども時代そのもの、子ども時代の平安、健全な親子関係など。より重要な喪失。この体験にさらされた場合、「その嘆きは人格に統合されることなく『内なる子ども』の悲鳴として、いつまでも残ります」
・「安心感の喪失」
(斎藤 1996, pp. 193-195)
・「愛着対象そのもの」の喪失や「愛着対象であるべきものの裏切り」
(斎藤 1996, p. 204)
〈グリーフ・ワークの経過で起こりうること〉
患者の回想は、グリーフ・ワークに取り組むなかで次第に変化する。「つまりトラウマの記憶はかたちを変え、サバイバーの人生を外部からおびやかす影から、彼らの人生の物語そのもののなかに統合される」
(斎藤 1996, p. 193)
グリーフ・ワークの中間の段階が終わりに差しかかる頃になると、「苦痛と悲嘆がやや軽くなってきて、喪失ということの意味を考えようとしたり、喪失したものを欠いたままで人生をやり直すことを考えようとしたりするようになります」
(斎藤 1996, pp. 210-212)
グリーフ・ワークの最終段階では、「喪失と嘆きの統合が行われます。グリーフ・ワークがうまくいけば、トラウマ的体験(喪失)という現実を受け入れたうえで、身体的にも心理的にも安定してきます」
「過去のトラウマ・喪失を痛みではなく、自らへのいたわりでもって自由に回想できる新たなアイデンティティ(自己同一性)にたどりつく」
(斎藤 1996, p. 212)
出典:斎藤学(1996)『アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子どもを癒す』学陽書房.
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