私は高校の半ばごろまで、文学と映画に(ゆるく)夢中で、その道に進もうと目指していました。ところが、このブログに書いたような、「生きるのに必要な最低限のものが満たされていない人々のために」自分は動かなければいけない、という思考が私を徐々に縛っていきました。「自分の好きなことややりたいことは二の次、場合によっては今回の人生でできなくても上等」と捉えるようになり、最終的には「他の人々の生活や夢を守るために、私の夢は捨てて、活動家という形で社会問題に取り組む」という選択をしました。
そうして社会運動に関わると、そこでパワハラに遭い、心身を病むに至りました。全ての活動から手を引いてしばらく経つと、かつての「社会問題のために『意味のある』ことに取り組む」という姿勢から一転して、結局、「自分の好きなことをやることが、自分が自分に求めていることだ」という原点に回帰しました。私にとってのそれは、詩、です。
「意味のあることをやれ」というのは、社会運動で加害者たちから呪いのように聞かされ続けていた言葉でもあります。「『意味のあること』をやってこそ価値のある人と言える」という風潮はこの社会では根強いと私は感じています。でもそれは、生きづらさはもちろん、優生思想に行き着くような危険性を孕んでいるのではないでしょうか。
もちろん、時間や労力を〈好きなこと〉と言えるものばかりに費やすのが難しい状況にいる人は多くいらっしゃることでしょう。それぞれが職場や家庭などで担っている/担わされている役割は自分の意志だけで選べるものではありませんし、数えきれない人々が身を粉にしてこの社会を支える一端を日々担ってくださっています。
そのうえで私がこのような話を綴っているのには、違うとわかっているはずなのにいつまでも引きずっている〈スキーマ〉とも呼べるものが私の頭の中をかき乱しているからです。このブログで「化石」の名で登場している知人は、わかりやすく「『人の役に立つ』『価値の高い』ハードワーク」をフルタイムでしている、いわゆる〈健常者〉です。この知人とは10代のころ1年間関わりがあり、当時もそれ以降も、立ち位置の変遷はあれど、私にとって対照的な存在でした。
この知人のイメージが、トラウマ的な出来事がつくりあげた意識や感情でがんじがらめになっているという背景が強く影響して、この知人の存在と己れを比較するという思考が、今でもどうしても私の中で働きつづけてしまっています。そうして、病、障害を得たのちにやっと戻ってこられたはずの〈自分の好きなこと〉を貶めてしまう状況に陥ってばかりの日々を今も送っています。
人は往々にして、結局〈自分の好きなこと〉に戻りたいと願うのだと、自分自身や周囲の人を見ていて思います。自分の仕事やそれ以外の取り組みが、〈自分の好きなこと〉なら、わかりやすく「人の役に立つこと」でなくとも、十分、誇りに思う根拠があると思います。
自分を励ますために書き始めた文章のはずが、ここまで来てもまだ、捨てがたいスキーマが心を暗雲で覆ってしまっています。でも少なくともそのスキーマに抗おうとしてきた自分の背中を、これからも押していきます。肩を持ってくれる方々もたくさんいてくださると信じています。いくら涙を流すことになっても自分と格闘しつづけます。
「ハードワーク」に耐えられない心身を持ち、〈好きなこと〉をして過ごしているだけの自分を貶めそうになっても、絶対に踏みとどまりたい。それができなければこの世は皆にとっても地獄のままだから。
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